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先週6/24(日)にみなとみらいにあるコワーキングスペース「BUKATSUDO」で催しされていました「BUKATSUDO文化祭2018」内にて、ダンサーのasamicroさんと共にダンスと映像のミニパフォーマンスをさせていただきました。

「ウソのようなホントのワルツ」

dance:asamicro × movie:近藤央希
6/24 13:00-/15:15-(15min)
@BUKATSUDO文化祭2018
無料(投銭歓迎)

観ていただいた方、ご協力頂いた方大変ありがとうございました。
また今回の機会を与えてくださったasamicroさんに格別の感謝を。

今回、私は初めての映像の制作となりました。
まだまだ荒い所も多々ありましたがasamicroさんの踊りにも助けてもらいつつ、
なんとか無事に収めることができひとまず安心しております。

またパフォーマンスの記録をまとめたいと思います。

asamicro : https://www.asamicrodance.com
BUKATSUDO : http://bukatsu-do.jp

2018.7.1

  

image lines を更新しました。

今回は side A/B の二部構成にしてみました。

下にスクロールしていってみてもらえればと思います。

2017.10.3

  

Vuln!! Path it now!!

Vuln!! Path it now!!<br />

2017.7.15

  

2017.3.10

  

2017.3.3

  

webサイトをリニューアルしました。

2017.2.28

  

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トップページのイメージを更新しました。 ご覧くだくださませ。 以前のイメージは archive に移動しております。

2017.1.2

  

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文章と写真は関係が無いです。

 

先週観た山の手事情社研修生公演「燦燦と淡淡と」が良かった。観たのは千秋楽。

完全に主観的な内容なのでほとんど意味不明かもしれないし書くのをやめようとも思ったけど、僕に近い感じ方をした人も少ないけどいるんじゃないかとも思って、感想と言うより感想から逸脱していった感じの文を書き散らかしています。

 

観終わって最初に出た感想が「断絶感」だった。

繰り返しになるけどお芝居はとても良かった。
斉木さんの演出はエネルギーが無理なく無駄なく放出されていて、とても合理的だと思った。ほかの人の評判も良くてその通りだとおもう。

多分、良かったからこそ、そう感じるに至ったのだと思う。

おそらく僕より4〜8歳ぐらい年下の人達だろうか?
きっと彼らの本当にリアルな嘆きなんだと思う、
(小貫さんの4,50代の嘆きもみてみたかったけど)

なのにむしろ共感できないということを強く感じた。
一つ一つのセリフや動きではなくて全体的な気として。

こんなにもさらけ出してくれているのに、こんなにも分かり合えない。

なんでだろうと考えた。
同じ東京に住む日本人で若いといっても同じ20代で、しかも僕も2年前に研修生を体験した身なのに、

いや、だからこそ微妙なところで分かり合えなさを感じたのかもしれない。
多分その辺だと思う、だいたい分かり合えないのは概ね僕の方に原因がある。

 

どうも危ういことを書いている気がする、あなた達とは分かり合えないといってしまうことは一方的で暴力的ですらあるかもしれないわけで、
だけど上手く言えないんだけど、そうじゃないということを言いたくて、下手くそなりに書いているつもりだ。

分かり合えないのは普通のことである、分かり合えるということだけがコミュニケーションではない。
僕にとっては分かり合えなさのリアリティがこのお芝居にはあった。

とても疲れたし少し凹んだけども、それ持ち帰れたのはとても良いことだと思った。

2016.3.20

  

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終わらないISのテロと、最近テレビで流れる美容整形のCMやどこにでも出てくるスマホゲームの広告やFacebookや「自撮り」なるものやらがどうにも無関係に思えない。

肥大する自意識とそれに比例する嫉妬。

人間は人と比べて幸せを測るところがどうしてもあるから、
どこかが経済的に豊かになれば、その周りは貧困ということになる。

なんとなくでしかないけど、一昔前よりもお金持ちが偉いという価値観がとても強くなっている気がする。

ISのテロは、多くの日本人には頭のおかしい人達が訳の分からない動機で行っていると思っているかもしれないがあれは、より大きくなった嫉妬によって生み出されいる現象でグローバリズムや資本主義、個人主義の歪ではないだろうか?

誰でも、経済的に良い暮らしをしたい、美しくなりたい、モテたい、認められたい
それらの欲求は、それ自体は自然なことだと思うが、
どうもそれらは資本主義と強く結びついて加速し重要な価値観になりすぎてる様に感じる。

今、主にテロが発生する地域とは離れてはいるが、心のなかでうごめいている感情は日本も同様のものがある様に思う。

個人主義の行くつく先は寛容さの欠如、都合の悪い他人の排除、あるいは戦争ということもありえる。

僕らは経済的に豊かになるということについては随分と発展したが、自らの心を知るということについては随分とアホになっていると思う。

2016.2.7

  

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何かを耐えるその心を耐える。

 

心は怒っていても見た目には怒らない、ではなく怒りの心を耐える。

羨ましい、その感情自体を耐える。それで、そこにある感覚は何だろう?

言語化することを耐え、ヒリヒリするような心が落ち着かない感じだけを見つめる。

それでは、さらにその落ち着かない心を耐え沈ませることはできるだろうか?

 

あるいはなにか、例えば絵をみる、絵をかく。

あらゆるセオリーに照らし合わせるの耐え、判断せず、それに接した最初の刹那のような感覚で耐えてみる。

作品に対峙する自分を作品に委ねる。自我を耐え、作品に遠くへ連れて行ってもらう。

そんなことができるだろうか。

2015.10.6

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